30数年前に被災した「宮城県沖地震」の時に、私は高校生。つまり、まだ扶養されていた未成年者だったわけで、生活物資やライフラインのために奔走した記憶はなく、いつの間にか少しずつ元の生活環境へ戻っていったという感じでした。しかし今回は、生活に必要な食料や水、燃料といった必需品も自分たちで調達する必要があります。これが、大人としての責任なのです。
昨日は意を決してガソリンの調達へ。朝の6時半に最後尾へ並び、無事に給油できたのが13時。しかも、1台あたり2千円分という限定です。友人とは冗談交じりに、こんな事になるなら「馬」か「ろば」あるいは「らくだ」でも飼っていたほうがよっぽど役に立ったろうね、などと話しをしているのですが、飼育場所や普段の維持費などを考えると、どっちもどっちだなぁと。
未だに水道が復旧していない我が家。燃料や資源も含めて、今回のことで実に様々なことに気付かされていますが、コップ一杯の水が、これほど貴重だと感じたことはありません。今まで、どれほどの水を無駄に垂れ流していたか。近所の給水所で活躍していた給水車には「東京都水道局」と「山口市水道局」の文字が。見るものすべてに感謝の連続です。
とても有り難いことに、カミさんが勤める会社から救援物資が届きました。現時点では西濃運輸と佐川急便が支店止めで荷物を受け取ることが可能なようですが、昨日に受け取りに行った西濃運輸の素晴らしい対応には驚きました。枝葉の配送がストップしていて人員が豊富とは言え、出迎えの丁重な挨拶から誘導、そして荷物が出てくるまでの早さなどなど。
イレギュラーな対応が予想される折、実にシステマティックに仕事をこなし、しかも10個口のダンボールをクルマまで積み込んでくれるのです。同じ被災者同士のはずなのに、そこには「プロ」の姿がありました。そして肝心の救援物資。遠慮無くリクエストして欲しいと言われたとはいえ、実に的を得た物資の数々。それは感謝しても感謝しきれないほどなのです。
ストレスと疲労からなのか、震災後から徐々に口内の痛みを訴えていたカミさん。これまで市販の鎮痛剤を服用していたのですが、それも効かなくなったようでもはや限界の様子です。ネットで探し出し、日曜日にもかかわらず電話が繋がった一軒の歯科医院。入居している建物に被害が出たために当面診療が出来ない状態だが、薬だけであれば出してあげるからとの返答。
さっそく午前中に伺ったところ、外で待っていてくださいました。そして前代未聞。路上で立ったままの診察(問診)の後、それじゃ薬を持って来るからと。そして、当医院は復旧までしばらく時間がかかるけれど、私の仲間たちが診てくれるはずだから、明日以降に行きなさいとおっしゃるのです。
2種類の鎮痛剤を処方してくださった先生に何度も何度も御礼を申し上げながらお支払いしようとしたところ、会計システムが動かないからお金は受け取れないとおっしゃるではありませんか。は?そういうわけにはいきません。いやいや、ホントにいいからと・・。感謝メーターが振り切る、感動の毎日なのです。