ご存知、片倉小十郎景綱公の居城だった白石城。その白石城趾に作られた益岡公園。今から三十数年ほど前、このすぐ隣りに建つ学び舎で、3年間の男子高校生活を過ごしました。高校の敷地には狭い校庭もありましたが、隣りの益岡公園は第二の校庭、いや、遊び場や休憩所のような存在でした。
とっくに時効は過ぎていると思いますが、今ほど公園が整備されていなかった当時。休み時間や放課後になると、公園内の茂みでときおりタバコを吸っ・・ている先輩方を目撃することがありました。
あの場所はどこだったのだろう。たしか笹ヤブに囲まれて、周囲からは目に入らない狭い秘密基地のようなスペース。当時の記憶を必死に思い出そうとしましたが、残念ながら現場検証には至らず。
その後に益岡公園はすっかり綺麗に整備され、白石城も見事に復元されました。若かりし頃に悪態をついた証拠は完全に消滅し、あれは幻だったということになるのです。いや、そうではないかもしれない。もし目撃者がいるとすれば、あの時と同じように益岡公園で咲くこの桜たちなのでしょう。
今から三十数年ほど前のある日の夕刻。男子高校生だった私は、この白石川の土手を歩いている時、急激に便意をもよおしてしまいました。ヤバい。相当にヤバい。もはやどこにも間に合いそうもない。そのままとっさに土手を駆け下りてしゃがみ込み、まるで暴発のような用をたしたのです。
危機一髪で、下着と衣服は救われました。とっさの判断が功を奏したのです。しかし、問題はそこからでした。紙が無い。危機を脱したことから少しだけ冷静になった自分。夕暮れとはいえ、こんなところで何をやっているんだ。しかも紙が無い。学校帰りで、持ち物は教科書とノートだけです。
ノート?それだ。それしか無い。カバンから数枚のレポート用紙を取り出すと、渾身の力を込めてクシャクシャに。これでもか~これでもか~。その作戦は、ある程度の成功を収めたのであります。
あの場所はどこだったのだろう。たしか雑草に囲まれて、周囲からは目に入らない小さな秘密基地のようなスペース。当時の記憶を必死に思い出そうとしましたが、残念ながら現場検証には至らず。
私たち日本人が記憶に残す「桜」にまつわる思い出は、決して一つや二つではないのでしょう。子供の頃から学び舎の近くには必ず桜があり、毎年のように桜を眺めながら過ごしてきた私たち。同時に桜にも見守られながら大人になってきたのかもしれません。今回の宮城県南さくら紀行は、思い出集でもありました。その場所で桜を見ると思い出す。私たちにとって桜は偉大な存在のようです。