どうもスッキリしないままの気持ちで帰宅した初日の「東北六魂祭」。パレードが途中で中止に追い込まれるなど思いもよらぬ事態となり、残念ながら多くの人たちに不満を残した結果となったようです。もっとも悔しかったのはもちろん主催者側なのでしょうが、仙台に住む私たちとしてもこれは他人事でなく、なんとか成功を収めて欲しいと願わずにはいられないのです。
主催者側では、震災からの完全な復興を遂げるまでは毎年の開催にしてはどうかといったような意見もあるようですが、その前にまずは本日の最終日をどのように終わらせるのか。考えると居ても立ってもいられなくなり、期待を胸に、またもや祭りへと繰り出したのであります。
本日は12時のスタートだという「六大祭りパレード」。クルマを駐車するのに手間取ったせいで、少し遅れて街へ到着。定禅寺通りは相変わらずの混雑ぶりで断念し、迂回して昨日同様に晩翠通り方面へと移動してみました。どうやら今日は定禅寺通りの南側車線を観客用へと開放し、北側の車線を東から西へと(一番町から西公園方面へ)進路を変更したようです。
これにより、晩翠通り付近へ陣取った私の方向へ、遠く東方からパレードがやってくるという具合。基本的には晩翠通りがゴールなのですが、それでも昨日よりははるかに躍動する踊り手たちを間近で目にすることができ、サービス精神旺盛な皆さんは晩翠通りを過ぎても踊り続けてくれます。完全燃焼できたのか。それは皆さんの表情でお分かりいただけるでしょう。
個人的に意外だったのが「盛岡さんさ踊り」。正直なところ、どちらかと言えば地味な存在に考えていたこの祭りですが、初めてライブで観てみるとまったく違うのです。どこか異国情緒も感じさせるような神秘的なリズムと舞い。シンプルな中にも何かを感じさせるその雰囲気。このリズムには、遠くアフリカ系の匂いもまったく無いとは言えないような、実に不思議な魅力です。
東北六県から集まってくださった多くの祭り人。まるで昨日のうっぷんを晴らすかのように、今日は見事な表情を見せてくださいました。やはり、演じる方が楽しまない限りは観ている方も楽しめません。今日は東北六県の祭り人同士、そして私たち観客も一体となった、まさに「祭り」の醍醐味を味わうことができたように感じるのです。これが誇り高き東北人の魂。
高さのせいで定禅寺通りを動けなかったために観ることができなかった「秋田竿燈」。なんと、パレード終了後に市役所前の広場で演舞が始まりました。青森の「ねぶた」もそうですが、秋田の「竿燈」も、動くのと動かないのでは迫力に雲泥の差があるのです。今回は12本の竿燈を仙台へ運んだそうですが、秋田の本祭りでは何と二百数十本の竿燈が出されるのだそう。
関係各位による必死の復旧策、そしてさらなる警備強化のおかげで、今日は祭りの迫力を十分に楽しむことができました。もちろん、今回が初めての開催ということで様々な課題が浮き彫りになったのも事実でしょう。昨夜の街の中では、「夕食困難者」と見られる多くの年配観光客の姿も目にしました。全国からお越しになる皆さんを、いかにおもてなしするかはとても重要です。
数百人単位で、「街のご案内係」あるいは「おもてなし隊」と書いたTシャツなどを着用させたボランティアが必要かもしれません。来場者へ対する心からのおもてなし。来場者へのお声掛け。これこそが、こういう時にこそ私たちができ得る、感謝の表現方法の一つかもしれません。
震災の犠牲となった方々への追悼。そして復興への誓い。そして何よりも、全国や全世界から差し伸べられた温かい気持ちや行動へ対しての感謝。この「東北六魂祭」には様々な想いが込められているようです。そしてこの祭りを通して、その想いを決して忘れることはしない「誇り高き東北人」であり続けることを、より多くの皆さんに知っていただきたいのです。