昭和のマッチ館 Ⅳ

予想外に反響があるものですから、私もすっかりと調子をコイてしまって、またもや「昭和のマッチ館」シリーズの第四弾を早めにお届けしようという気になってしまったのであります。実のことろ、ここに載せるマッチは一般的に幅広く名の知れたお店を選んでいたつもりでした。

しかし、それだけでは面白くないので、これは誰も知らないだろうと思われるマッチも混在させるわけですが、ご覧いただく皆さまも実に手強くて、思いがけずに判明させられてしまうのです。

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白石や大河原のマッチが多く見られるのは、おそらく父が白石で勤務していた時代のものだと思われます。確かクルマで通っていたはずですが、酒の席などがあると汽車を使ったのでしょう。大河原でお土産を買ってきてくれたことは、幼心にとても嬉しかったことを思い出します。

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村田町にもボーリング場があったことは、私たちの年代なら憶えているはずです。ちょうど中学生の頃、学校帰りに立ち寄って遊んだものでした。確か中学生は非常に安く、貸靴代とチョッとの金額でゲームが出来たわけです。記録となった230というスコアは、後にも先にもこの時だけです。

「世界のフルーツ やま平」。国道沿いに大きな果物店がありました。店頭に大きな房のバナナが大量に並べてあり、そこに立ち寄ってもらうのが子どもの私は実に楽しみだったのです。そこが「やま平」だったかどうかは憶えていませんが、当時は大型果物店をよく見かけました。

そして、ジーンズショップ「アメリカ屋」。最後のマッチを見て、そう言えば東五番丁通りにあったことを思い出したのであります。中央通りの「ヤマトヤ」や「さいとう屋」と共に、「アメリカ屋」は私たちにとって「リー」や「リーバイス」を手に入れるジーンズの宝箱のような存在でした。