祖母の味 みちのくしそ巻

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先日に「あ・ら・伊達な道の駅」で購入した「しそ巻」。食べながら思わず懐かしくなりました。おそらく、もう40年も前のことでしょうか、亡き祖母が実家でこれをよく作っていたからです。

今では、大崎市、特に岩出山や鳴子方面の物産というイメージがある「しそ巻」ですが、当時は私が生まれた県南地方でも家庭でよく作られていたような気がします。これは材料に「小麦粉」が使われているようですが、私が家庭で食べたものにはおそらく使われておらず、もっとやわらかくてねっとりした食感だったように記憶しており、私にとっては立派なメインのおかずでした。

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思い起こしてみると、昔はけっこう家庭内で自家製のものをいろいろと作っていた時代でした。「しそ巻」と似たような好物に「ピーナッツ味噌」なんてのもありました。子供でしたので作る場面はよく見ていませんでしたが、まだ冷めていない熱々のピーナッツ味噌に手を出して、見事に口のなかにやけどを負ったことを思い出します。出来立ては抜群に美味しかったからです。

彼岸には必ず「おはぎ」作りも手伝わされました。すり鉢の中でまだ湯気の立つお米をスリコギで叩いたりくるくるしたり。もうよし、と言われるまで続けなければならないわけです。「ずんだ」を作る手回しのミンチ機のようなようなものもありました。テーブルの端にネジ止めし、上から茹でた枝豆を入れてハンドルを回すと下からつぶれた枝豆が出てくるのです。それをまたすり鉢ですりつぶしながら味付けするのですが、労働役でしたので詳しいレシピは知りません。

「ずんだ」のみならず、あんこや胡麻餡なども手作りでしたし、軒下には干し柿が吊るされ、庭には自家製の梅干しも干されていたのを憶えています。ちなみに実家は農家でもなく、ごく普通の一般家庭だったのですが、昔は各家庭に道具もあり自家製が普通のことだったのでしょう。

明治生まれの祖母。優しく可愛がってもらった一方で、しつけにはとても厳しい人でした。朝晩や外出と帰宅時の挨拶。食事前後の挨拶はもちろん、食事最中の態度に至るまで。背中を丸めて歩こうものなら、容赦なくほうきで背中を叩かれたのでした。当時は油断できずにヒヤヒヤものでしたが、今はもちろん心から祖母に感謝しています。しそ巻が回想の機会を与えてくれたようです。