多良間村と宮古市 2,300kmの絆

驚くほど、のどかでスローな多良間島。宮古島でも十分にスローな時間を過ごすことができますが、ここ多良間島はその比ではなく、むしろ宮古島が都会に感じられるのです。島内には、あまり役に立っているとは思えない信号機が1つ。そして、貴重なガソリンスタンドも1つ。

誰かの目を意識して見栄を張る必要もなく、誰かと何かを競い合う必要もありません。人間が人間らしく、そして自然と動物の恵みを受けながら、共に助け合って生きていらっしゃる自然体の島。来島者がここで何をして過ごすか、まるでその発想力を試されているかのようです。

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ユル過ぎる多良間島のおかげで、昼食難民となりつつあった私たち。集落のスーパーマーケットで無事に菓子パンと飲み物を調達し、ほど近い北部の海岸に位置する「ふるさと海浜公園」でランチタイムを取ることにしたのであります。午前中に島を一周して確認した限りでは、トイレやシャワーが完備された東屋付きの海浜公園は、島内で唯一ここだけかもしれません。

相変わらず耳に聞こえてくるのは、蝉の声と風の音と波のささやき。それに加え、実にイカしたピックアップで乗りつけたと思われる、多良間村役場建設課の職員が動かす草刈機の音が、静かに静かに鳴り響きます。目の前の幹線道路を通るクルマは、おそらく15分に1台あるかどうか。

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さて、今回の旅で何度か「どちらから?」と聞かれたことがありました。「仙台からです」と答えると、決まって「あら!昨年は大変でしたね~」と皆さんがおっしゃってくださるわけですが、「こちらこそ、全国の皆さまからご心配やご支援を頂戴いたしまして・・」と感謝するのが礼儀です。

そのようななか、多良間空港で一つの義援募金箱を目にしたのです。「宮古市分」と書かれたその募金箱。私たちが住む東北からはるか遠くのこの島で、まさか先の大震災に関する義援募金箱を目にしようとは思いもよらず、驚きとともに目を奪われてしまったのであります。しかし、なぜ「宮古市分」なのか。宮古島市ではなく宮古市。その謎はやがて解けることになります。

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昼食の後、島の南部をドライブしていた時のことです。何やら史跡のようなものを見つけたのでクルマを降りてみることに。道路から少し奥まったところには、とても立派な石碑が建てられていました。案内板を含めてそれらをよく読んでみると、なんと驚愕の事実が記されていたのです。

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1859年。この多良間島で座礁した岩手県宮古市の商船乗組員を島民たちが助けて手厚くもてなして無事に宮古へ送り返したという史実が、近年になって発見されたということのようです。それを知った宮古市民が感謝の意を込めて、先祖に代わって「報恩の碑」を建立したのだとのこと。

まさに感動であります。私たちも偶然に見つけたこの「報恩の碑」。仙台市から岩手県宮古市はそう近くもありませんが、この多良間島から見ればお隣りどうしだとさえ思えてきます。直線距離で約2,300kmも離れた多良間村と宮古市は、なんと150年前から絆が結ばれていたわけです。

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その後も宮古市はこの島を訪れて植樹などを行なっているようですが、最初の「報恩の碑」建立を含めて、まさに感謝の意を風化させてはならないという決意の表れなのでしょう。風化させてはならないものは様々あるようですが、「感謝」もその一つだということを教えられたような気がします。

多良間島や宮古島はじめ、沖縄県全域でも東北へ向けた様々な被災者支援活動が行われたこと、そして今もこのように続けて行われていることを、私たちは見過ごすわけにはいかないようです。