これまで、ボランティア自体のことは記事にしませんでしたが、今日だけはなにとぞお許しください。おそらく、私にとっても一つの節目の日と言えるかもしれないからです。
記憶では、社会福祉協議会が基となったボランティアセンター(VC)が、震災直後に仙台市内の各5つの区で立ち上がりました。その後は各地域の被災度合いによって徐々に収束され、4月下旬には、沿岸を有する若林区と宮城野区を中心とした「仙台市南部津波災害VC」と「仙台市北部津波災害VC」が、ボランティアセンターの前線基地として集約されました。そして本日、「仙台南部VC」が「仙台北部VC」と統合されるために、ついに閉所を迎えたのです。
人手が足りなくなるであろうゴールデンウィーク明けに正式な登録を済ませ、仕事の合間にちょくちょく訪れた「仙台市南部津波災害ボランティアセンター」。プレハブ小屋に仮設テントという、逆立ちして見たところで決して立派とは言えないその基地。何度か通ううちに、不思議と少しずつ愛着が湧いてきたのかもしれません。それが明日から無くなってしまう事に、少し寂しさを覚えるのです。
ある意味、ボランティアは自己満足なのかもしれません。しかし、私たちが自らの「手」をお貸しすることによって、非常に喜んでくださる方々が大勢いらっしゃることも事実。そして、その感覚はやがて「麻薬」になるのです。同じ仙台市内でも被災度合いにとても大きな格差があるという現実。そして、一人一人に、それぞれの被災のカタチがあることも知るのです。
社長さんも、部長さんも、次長さんも、課長さんも、係長さんも、ここに集まればどこの誰かは関係なく、またそれを知る由もありません。ただその日に用意された任務に取り掛かり、そして満面の笑顔を頂戴して基地に戻るのです。それは、実に単純で純粋で清々しい作業。
「仙台市南部津波災害ボランティアセンター」は本日で終結を迎え、「仙台市北部津波災害ボランティアセンター」は明日から「仙台市津波災害ボランティアセンター」と名称を変え、これまで以上にパワーアップして宮城野区新田にある宮城野体育館から被災者の皆さんの元へ駆け付けることになるでしょう。今回ばかりは長期戦。時間の許す限り、私も麻薬の続きを。
はるばる大阪から、素晴らしい「音楽」を被災地へ届けるために来てくださった「kogakusyu翔」の皆さん。明日以降も、気仙沼や山元町などでボランティア演奏を重ねられるそうです。彼らの音を聴きながら何かこみ上げてくるものを感じたのは、おそらく私だけでなかったはず。
私たちが気持よく安全に行動できるようにと、常に気を配ってくださった仙台市社会福祉協議会の皆さん。そしてボランティアセンターの運営に携わるために集まってくださったボランティアスタッフの皆さん。さらに、この宮城や仙台へ全国から駆け付けてくださった多くのボランティアの皆さんに最大級の感謝を。この節目に、一人の仙台市民として心より御礼申し上げます。
お便り
ボランティアですかあ・・・基本的に自己貫徹型が理想ですが
CoCo壱番館のボランティアにだけ無料って言う支援には
被災者の自分にとっては、エエエエって感じでしたが(T^T)
基本的に支者は自己貫徹型だと思います。
それを完璧に出来るのは自衛隊位です。
SEIさん、ご来店ありがとうございます。
そう言えば「CoCo壱」でそういった話しがありましたね。
残念ながら私は無頓着で食べることができませんでしたが、
企業が考えた間接的な被災地支援ということなのでしょう。
本来のボランティアは、おっしゃるとおりだと思います。