今は無き「フローレンス」への階段です。
昔、この階段を何度も下りたフローレンスファンは多かったのではないでしょうか。
一番町3丁目の土屋ビルの向かい、少し古いビルの地下1階にフローレンスはありましたが、このお店も創業30年オーバー組だったのは間違いなさそうです。
このお店を初めて訪れたのは確か高校生の時だったと思います。私は実家が仙台ではなく高校は片倉藩でしたが、伊達藩の私学に通う女子同級生に「美味しいから今度行ってごらんよ」と教えてもらったのです。
当時はイタリアンというカテゴリーのお店は多くなく、おそらく生まれて初めて口にしたこちらの「バジリコ」はとても衝撃的でしたし、ハンバーグを添えたスパゲッティも人気だったと記憶しています。今思えば少し太めの麺はいつも柔らかめで、すべてが抜群に美味しかったというよりも、お店の雰囲気が美味しくさせたという要素が大きかったのかもしれません。
「パスタ」や「アルデンテ」などという言葉自体を聞かなかった頃の「昭和のイタリアン」でした。
フローレンスがあったこの場所は現在居酒屋さんに変わっているようです。私はまったく知らなかったのですが、ここを出た後に141ビルの地下に移動したようなのです。
しかし141もご存知のとおり無くなってしまい、とうとう終結したのか・・。と思っていたところ、なんと塩釜神社の近くに移転したという少し嬉しい情報を見つけました。
ただなんとなく、この場所にあったあのお店こそが「フローレンス」だったような気がして、少し寂しい気持ちを完全に拭い去ることは出来ないままなのです。
お便り
初めまして、dty maeriniと申します。
やはり最初が「フローレンス」でしたか、と思います。
青春の思い出の味、っつたらバジリコスパゲティハンバーグですね。
dty maeriniさん、ご来店ありがとうございます。
田舎者の私には、フローレンスのすべてが衝撃的でした。
地下にあった頃の店内は、今でも何となく憶えています。
こんにちは、先日街なかに出ましたら、このビル一階の「八百長」が閉店しており
吊るし売りのおばちゃん用ブティックに変わっていました。見慣れた店でも40年以上
頑張って営業されていたのですね。
また、お隣にはしゃれた貴金属店がありまして、私は必ずウィンドウの指輪に見とれてしまうのです。一度は奥様とご覧になってみてはいかがでしょう。
ついでに、村田町に「純喫茶 無伴奏」ができた事、ご存じでしたか?元「どーも」だった所です。まだ入った事はありませんが、1000円のコーヒーがあるらしいです。
あの「バロック喫茶無伴奏」と映画に便乗するのなら、確信犯ですわ。無伴奏の元オーナーが蔵王山麓にお住まいになっているのを知ってか知らずか、、、。
dty martiniさん、ご来店ありがとうございます。
え!八百長商店が閉店されたんですか!
日曜日にはシャッターの前でブティックが展開されていたようですが、
青果類やタバコの販売もやめられたのですね。残念です。
村田町の「純喫茶 無伴奏」はまったく存じませんでした。
確かに、昔にどこかで耳にした店名と似てますね。
機会があれば、ちょっと覗いてみたいものです。
情報をありがとうございます。