すっとこどっこいオヤジのあっぺとっぺなクルマ遍歴 その2

すっとこどっこいオヤジのあっぺとっぺなクルマ遍歴。前回から怒涛の短期乗り換え戦法を繰り出していた若かりし頃。いすゞ、トヨタ、ホンダときて次は初の輸入車が登場。相変わらず絶賛暴走中。

あっぺとっぺなクルマ遍歴 その2

今思えば自分でも呆れてくるほど、よくもまあ次から次へと乗り換えていたわけですが、こうしてみると特定のメーカーにこだわることはなく、あくまでも欲しいクルマを単体で選んでいたようです。

※ ほとんどの画像はウィキペディアから拝借しています。

フォルクスワーゲン ゴルフ Ci

1988年にシティを下取りに新車で購入。グレードは Ci で、ガソリンエンジン1.8Lの5MT。3ドアハッチバックで色はまたもや。VWゴルフとしては2代目のいわゆるゴルフⅡと呼ばれたモデル。

この年に横浜から仙台へ転勤した(させてもらえた)ことで、ホンダシティが少し退屈な存在になりました。そのようななか、知人が経営されていたタイヤショップの店内に突如として1台のVWゴルフが飾られ始めたのです。なんだこれ!いいんでない?これ!後で考えれば、タイヤショップの経営者とヤナセ東北の営業マンとのコラボレーション企画に、まんまと引っかかったのであります。

▼ フォルクスワーゲン ゴルフⅡ ウィキペディアより

もう欲しくて欲しくて。毎日のようにカミさんの耳元で「お願いですから買っていいでしょ?」と。その粘り強い行動が評価されたらしく、なんとかかんとか承認され、ヤナセの営業マン氏に「一番安いグレードをください!」と言ったのです。当時は5ドアより3ドアのほうが安く、またATよりもMTのほうが安かったのであります。いずれにしても、ATは3速だったので5速MTで大正解でした。

また、ステアリングとブレーキの取り付けの関係だったか、当時はまだまだ左ハンドルのほうが自然で完成度は高いよというアドバイスを受け、悩んだ結果に選んだのは左ハンドル車。しかもパワステ無しで5MTとなれば、正確なドライビングポジションを決めて運転に集中しなければなりません。

 思い出 1 

当時ではゴルフの定番だった丸目4灯グリルとネットレスト。納車早々にさっそく注文して取り付けてもらいましたが、クルマを後付けオプションの部品で装飾したのはこれが最初で最後だったはず。

 思い出 2 

タイヤショップとヤナセ営業マン氏との策略が功を奏したのか、友人の間でもゴルフ乗りが増え、の3台でドライブなどにも出かけましたが、この時に撮ったはずの写真は見当たりません。

 思い出 3 

とにかく接地性能が高かったように思います。もちろんFFでしたが、雪道でもスタッドレスタイヤで安定的にガンガン走り、高速道路では路面に吸い付くように走りました。車重は1トンを切っていたはずですが、みっしりとした乗り味が当時の国産車では味わえない安定感。東北自動車道の浦和ICから仙台南ICまでノンストップで2時間30分という記録は、若気の至りだったと言えそうです。

とにかく楽しくて面白いクルマでした。左手はステアリングを握りながらウインカーも操作し、右手はMTを操るためにシフトノブへ。もちろん両足も休むヒマはないわけで、運転に集中したのです。

スキーやキャンプなど、都会から仙台へ戻ってきたことでゴルフも様々な遊びに連れ出しましたが、今でもまるで昨日のことのように思い出され、程度が良ければもう一度乗りたいクルマであります。

フォード テルスターワゴン PWSディーゼル

1991年にゴルフを下取りに新車で購入。プレッシャーウェーブスーパーチャージャー付きディーゼルの2.0LでFFの4速AT。カペラ・カーゴとの兄弟車でもちろん製造はマツダでした。色は初の

それまでで最長となったあっという間の3年を乗り切ったゴルフ。初回車検前に手放したのは、キャンプ好きが高じてステーションワゴンが欲しくなったから。候補車は他になく、一点狙いでした。

▼ 仙台市内の某所に置かれたままの同型テルスターワゴン

フォードとは言え、当時は北米フォードと欧州フォード、そしてマツダが生産していた日本フォードといった具合に少し混沌とした状況でした。おそらくカペラカーゴでも良かったのでしょうが、意外にヒットしていたカペラカーゴに比べてテルスターワゴンは少なく、こちらを選んだのでしょう。

ちょうどこのクルマの時にまた東京へ転勤となりましたが、帰省する際の燃料費が大幅に下がったことは言うまでもありません。当時は軽油が確か90円前後で、燃費も高速道路で18km/L前後でした。

 思い出 1 

1,300kgを超す車重のせいで発進時はカメのようでしたが、その後はスーパーチャージャーがヒュイーンと効いてウサギを追い越すぐらいの走りを見せてくれました。ディーゼルエンジンなのでトルクはたっぷり。運転席にはシートヒーターなども備わり、アウトドアにはぴったりのクルマでした。

 思い出 2 

このクルマ。後部のラゲッジスペースに隠されていたシートを引き起こすと、そこには2人が後ろ向きに座ることができました。実は正式に7人が乗車できるクルマだったのですが、実際に7人を乗せて走ったのは全保有期間中に1回だけ。7人が乗ると、発進加速はカメどころかカタツムリでした。

日産 プリメーラ Tm L セレクション

1993年にテルスターワゴンを下取りに新車で購入。グレードは「Tm」の派生バージョンのような位置づけだったLセレクション。ガソリンエンジン2.0Lの4AT。セダンで色はダークグリーンパール

転勤により2度目となった都会生活で、キャンプもままならなくなってきた頃。そうなると、テルスターワゴンの鈍足ぶりと無駄に広い車内スペースが気になり始めるのです。よ~し次いってみよー。

▼ 日産 プリメーラ ウィキペディアより

私が購入したのは、いわゆる初代プリメーラ。日産が本気で挑んだこのクルマは欧州と日本で発売されたこともあり、乗り味はまさに欧州車そのものでした。150馬力を叩き出すDOHCエンジンや前輪マルチリンクサスペンションなど、まさに私があこがれていた欧州スポーツセダン。しかしながら、実は本当に欲しかったのはプジョー405MI16だったのですが、予算的に無理だったのであります。

前車がディーゼルエンジンのステーションワゴンだったこともあり、走る曲がる止まるの次元の違いにニヤニヤしてしまう毎日。今思えば5MTがよりいっそう面白かっただろうと思うわけですが、都会の渋滞に備えて選んだ4ATもまんざらではなかったのです。ただし燃費は良くありませんでした。

 思い出 

当時に住んでいた川崎市内の日産ディーラーで購入したプリメーラ。納車されてすぐ、まっすぐ走っていても何となく少しずつ左に寄っていくような気がしてならず。むむ?わだちのせいなのかなぁ。

最初はそう思ったのですが、真っ平らな道路をまっすぐ走っても、クルマはわずかに左へ寄っていくわけです。まさか。新車なのに?すぐにディーラーへ出向いて状態を説明しました。おそらくホイールアライメントが狂っているかもしれませんと。担当営業マンは「冗談でしょ」のような表情でしたが、頼むから試しに計測してくれと頼んだところ、大変申し訳ございません狂っていたようですと。

まったく「冗談でしょ」はこっちのセリフです。その後はまったく問題なく乗ることが出来たので良かったのですが、このディーラーはサービスマンも点検後のエンジンルーム内にスナップオンのスパナを置き忘れるなど、実にすっとこどっこいな印象をかもし出すディーラーだったのであります。

というわけで、いすゞ、トヨタ、ホンダ、VW、フォード(マツダ)、日産ときたすっとこどっこいぶり。このプリメーラで人生初の「車検」とやらを受けるわけですが、その後すぐにまたしても。