仙台の匂い

仙台で生まれ育った皆さんはどうお感じなのかは分かりませんが、私のように田舎町で生まれ育った人間からすると、仙台は大都会の象徴でした。私が小学校の低学年の頃、仙台へ出てきて目にするものは興奮の連続です。多くの人、多くの車、道路を走る電車、コンクリートの建物群など。そして今でも忘れられないのは、仙台の街に漂う「仙台の匂い」なのです。

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田舎町で毎日嗅ぐことが出来きた匂い。例えば、土の匂いや雨上がりの草の匂い。また夕方になると漂ってきた風呂焚きの匂い。それに比べて、仙台の街に漂う匂いはとても洗練されたものだったのです。親に車で連れてきてもらったり、兄に汽車で連れてきてもらったり。いつも新鮮な仙台の匂い。

私がどうしても忘れられな匂いは、仙台駅前に漂う「鶏の照焼き」「コーヒー」そして「ハンバーガー」の匂いです。いつも店頭に「鶏の照焼き」らしきものが吊るしてあった鶏肉店。いつも店内からコーヒーの香りを漂わせていた喫茶店。いつも玉ねぎの炒めた匂いやケチャップの香りを嗅がせてくれたハンバーガースタンド。田舎では到底味わえない匂いです。

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確かここで嗅いだ匂いだったはず、というお店が、当時と多少カタチを変えながら今も残っているのは懐かしい限りですが、残念ながら東宝劇場の隣にあったはずのハンバーガーやホットドッグを食べさせてくれるスタンドは今やありません。兄に連れられ、当時の日立ファミリーセンター前からバスに乗って「八幡スケートセンター」へ行ったあの日。仙台の匂いが満載でした。

やがて大人になるにつれ、仙台へ出てくる回数も増えてくると自然に鼻も慣らされていくわけですが、今でも仙台駅前を歩くと当時の新鮮だった「匂い」を思い出すことがあります。はたして、現代でも仙台へ来られた人たちが最初に感じる「仙台の匂い」は存在するのでしょうか。

お便り

  1. 今日このブログを発見しました。もちろん初めてのメールです。昭和33年、小学校2年のときに津軽弁をしっかり身につけて仙台に移ってきました。今は仙台弁に持ち替えていますが。ところで、母校の立町小学校は学区が非常に広く、川内も全部含まれていました(多分現在も)。川内には亜炭鉱山があり炭住もありました。小学校低学年の頃はダルマストーブの燃料も亜炭でした。火力が弱く、燃やすと独特の臭いがするので、どちらかというと嫌がられていましたが私は好きでした。。匂いというのはなかなか忘れないもので、今でも私にとっての「仙台の匂い」は”亜炭が燃える臭い”なんです。またメールさせてくださいね。

    • ジョン万乃助 ジョン万乃助 より:

      だんどりぃのさん、ご来店ありがとうございます。
      大先輩からのお便りに、たいへん恐縮しております。

      私は子どもの頃に炭ごたつで育ちましたが、さすがに亜炭の経験はありません。
      昔は仙台で「埋木」が採れたらしいので、亜炭の採掘とは何かつながりがあるのかもしれませんね。
      貴重なお話しをありがとうございます。
      また是非ともお立ち寄りください。

  2. dty martini より:

    こんにちは。
    最近は、ブログの更新が無いので、昔話を掘り起こして見ております。
    この門間商店の左には、現在、早朝から開店しているカフェレストランが
    あると思いますが、その昔は「キムラ?」というコーヒースタンドで
    紅茶が150円でした。コーヒーロールも100円以内でした。
    今なら、門間の右側の方へ入りますけれど。
    「亜炭」懐かしいですね。私は郡部の学校で13歳まで亜タンの達磨ストーブで
    すごしました。転任してきた教師が、つてを頼って、北海道から石炭を都合
    してくれたことを思いだします。それから間もなく灯油になりました。

    • ジョン万乃助 ジョン万乃助 より:

      dty martiniさん、ご来店ありがとうございます。

      最近では車の移動ばかりで仙台市内を歩くことが少なくなってきたわけですが、今の仙台駅前の匂いはどのような感じなのでしょうね。

      「さくら野」の一件から青葉通りがシャキっとしていないのは残念な限りですが、今もなお仙台駅前の顔は青葉通りに違いありません。
      一日も早く賑やかさを取り戻し、以前のように光のページェントを青葉通りでも開催できる日を心待ちにするばかりです。