この前を通るたびに、昔からずっと気になっていた一軒の食堂。以前から、このような個人経営らしい町の食堂にはなぜか魅せられてしまうのですが、このお店は駐車場も見当たらず、まるで「きたなシュラン」にでも登場しそうなその外観に、さすがの私も二の足を踏んでいたのです。
伊達藩の時代に、三百人の足軽を配置したことから付いたと言われる、若林区の「三百人町」。
このあたりは、仙台駅から荒町を経由して荒浜まで続く市営バスの重要な路線で、交通社会の大動脈とも言えるのですが、なにせ仙台のなかでも有数の旧市街地。その役割りとは裏腹に狭い道路が続き、迫り出した電柱がクルマにとっても歩行者にとっても、この上なく厄介です。
そのような道路沿いにお店を構える「ふじ食堂」。珍しくほんの少しだけためらいましたが、意を決して突撃してみました。13時半ごろでしたが、店主と思われる老齢の男性が一人カウンターで新聞を読んでおられます。いいですか? あ・・いらっしゃい。なぜか、緊張します。
想像通り、完全な「昭和の食堂」です。相当な年数が経っていると思われる店内ですが、経年劣化による古さこそあれど、どこかが汚れているということはなく、むしろ小奇麗に保たれているという印象なのです。「きたなシュラン」などという表現は実に失礼で、お詫びすべきでしょう。
四捨五入なのかちょうどなのかは分かりませんが、なんと40年もの時間をこのお店に捧げられているというご主人。80歳をとうに過ぎておられるとは思えない身軽さで、さっそく私のために一杯のラーメンを作り始めてくださいます。お店を開店した当時はこのあたりも商店街が連なっていて、下宿も多かったせいか連日のように若い人たちで賑わったよと目を細めるのです。
徐々に時代は変わり、当時は主流だった「下宿」自体が姿を消し、その代わりに立ち並ぶマンションやアパート。今の人たちは街で食事を済ませてくるからねぇ・・と少し寂しげなご主人。
しかしながら、東京で16年、仙台で40年だという経験から繰り出されるラーメンは、その腕前がまったく衰えていないことを見事に証明しています。まさに「いぶし銀」。恐れ入りました。
丼物やカレーライス、また炒め物やうどんなど、意外にも「食堂」としての役割りを十分に担うほどの献立数を持つ「ふじ食堂」。おそらく近辺には、昔からここの食事を楽しんだ住民の方々も多いのでしょう。ご主人の仕事道に敬意を表し、ご健康を願いながら、もちろん三ツ星です。