昨日、また「マルシェジャポン」でものぞいてみようと、サンモール一番町へと出掛けたのです。小腹が空いたのでマックで少しおやつを食べ、さてと今日はどんなお店が出ているのかと歩き出したところ、あれ?ボンボン会館のタバコ屋さんが閉まっています。日曜日なのに?
なんとなく様子がおかしいので近寄ってみたところ、何箇所かに貼り紙が。そして、そこには「ボンボン会館」の営業終了と御礼の言葉が記載されていたのです。え~!マジですか?
私などが生まれるずいぶん前の昭和26年に開店し、なんと59年間も多くの人たちに娯楽と食事を提供し続けてくれたという「ボンボン会館」。今年の3月31日で営業を終了したとありますが、まったく知る由もなく、せめて閉店前にもう一度食事でもしたかったと悔むのであります。
ボンボン会館を一番利用させていただいたのはおそらく学生時代で、今から30年ほど前でしょうか。当時、パチンコがちょうどチューリップ機から羽根モノ機(ゼロタイガー等)に切り替わる頃で、さほど真剣にパチンコにハマっていなかった私は、比較的空いているパチンコ屋だった「五橋まるたま」か「ボンボン会館」がお気に入りだったのですが、勝った記憶はありません。
また、地下だったか2階だったかは忘れましたが、食事処の「レストラン ボンボン」で、シルバーのプレートに盛られたピラフやオムライスなど、食事でもちょくちょく利用させていただいた記憶も残っています。当時は駅前のプレイビルと二分して「娯楽の殿堂」と呼ばれていたのが、まるでつい最近の事に思えるのです。
偶然にも、社会人になってからは大口のお取引先として担当させていただいたこともある「ボンボン会館」さん。また一つ一番町の「顔」が消え、私たちの思い出の場が無くなってしまったわけですが、「ボンボン会館」という名称と良き記憶は一生忘れることがないでしょう。
お便り
昭和49年から55年までの学生時代を仙台で送りました。
ボンボン会館の2階の喫茶店ジャンボに、時々お世話になりました。幕の内弁当の山菜がお気に入りでした。300円の名画座や金港堂書店が懐かしいです。ところで、金港堂の一番町通りを挟んだ向かいに洋菓子屋があったと思うのですが何という名前だったか覚えている方はいませんか?フランスパンのバタールが好きでした。また夏には濃厚な味のソフトクリームがおいしかった記憶があります。洋菓子はついぞ求めたことはありませんでした。
思い出しました。プランタンだと思います。
お騒がせしました。