ニャンコ男爵が脱走して行方不明になったという知らせを受け、すぐに友人宅へ行って朝方まで捜索したのですが残念ながら見つかりませんでした。
友人のご主人は、「探し猫」とタイトルの書かれたカラーの張り紙を大量にあちらこちらへ貼ってくれており、もはや思いつく限りの策を講じてくれている状況なのです。すでに近所の野良猫グループの溜まり場にも詳しく、本当に手を尽くしてくれていた状況に感謝するばかりでした。
これ以上私たちにできることはなさそうで、あとは祈ることしか残されていませんでした。すでに友人にも相当の迷惑をかけていますので、一旦引き上げることにしたのです。何かちゃんと食べているだろうか、病気になっていないだろうか、野良猫たちにいじめられていないだろうか。そんなことばかりが頭を駆け巡りますが、残された引越しの準備も急ぐ必要があったのです。
次の日の引越しに向けて支度をすすめる私たちは無言でした。カミさんの目は真っ赤で、しかもハニワ状態です。掃除のために冷蔵庫を動かすと、裏側から鈴のボールが。それを見たカミさんはまた号泣。そんなことの繰り返しで、なんとか引越しの準備は終わりました。
荷物を出した翌日の朝、いよいよ私たちも仙台へ帰る日です。友人宅をもう一度訪ね、心から御礼を言いながら、万が一見つかった場合の連絡も待つ旨を伝え、東京を後にしたのです。仙台へ向かうクルマの中でも二人ともグズっており、運転する私は前が霞んでよく見えませんでした。
仙台へ着いたのは夕方だったでしょうか。すでに荷物は到着して搬入を開始しているようでしたので、私たちも急いで手伝うことに。ものの1時間ですべての荷物が降ろされ、業者さんが帰った後でまずは一息です。深呼吸をして、少しずつ落ち着きを取り戻してきた感じでした。
まずはすぐに使うモノのダンボールを開けようかというその時、電話が鳴ったのです。電話へ走るカミさんが、きっと見つかったんだ!と言っています。そして、電話に出たカミさんがまた号泣しています。そのとおり、男爵が見つかった知らせでした。私たちは荷物をそのまま投げ出し、すぐさま東京へと向かったのです。
2時間も滞在しなかった仙台を後にして、東京に向かうクルマの中は明るいグズり加減でした。友人宅へ着いたのは深夜近く。男爵は?かなり痩せ細り、毛もひどく汚れていましたが、私たちを見つけてミャァミャァ鳴いています。涙無しではいられない、実に久しぶりの再会でした。
友人宅からすぐ近所のお宅から連絡があったのだそうです。そこは比較的広いお屋敷で、そこの家人が物置小屋に行くと、猫の小さな鳴き声がしたのだとか。探し猫の件はすでに近所では周知の事実でしたから、そのお宅の方がすぐに友人へ連絡してくださり、無事に保護されたということのようでした。おそらく、急いで小屋へ逃げ込んだまでは良かったのですが、小屋の入り口には犬が繋がれており、出るに出られなくなったのだろうと話されていたそうです。
ともかく、いろいろな方々にご迷惑をかけ、またいろいろな方々からご協力をいただき、男爵は無事に私たちの元へ戻ってきました。今でも東京に住んでいるその友人とは、当時のことを笑い話しとして思い出すことがあります。しかし謎なのは男爵があの時になぜ逃げたのかです。
もちろん様々な推測はできますが、私たちは今でも男爵にそのことを聞き出せずにいます。