八幡スケート場

おそらく、「スケートに連れていこう」とでも誘われたのでしょう。当時小学生の高学年だった私を誘ったのは、5学年離れた高校生の兄でした。わけもわからず、兄とその友人の後を追って向かった先は仙台。自宅のある町から仙南交通バスと国鉄の汽車を乗り継ぎ、仙台駅前の日立ファミリーセンター前からまた市バスに乗って降り立ったのは、赤い屋根のとてつもなく大きなスケート場でした。

このことを私が決して忘れられないのは、仙台行きの汽車内で起こったある出来事によるものです。

おそらく緊張のあまり、お腹の調子が悪くなってしまった私。車両内の便所に行きたくとも、ちり紙を持ち合わせていません。震えながらそのことを必死で兄に訴えると、なんと兄の友人が自分の軍手を差し出してくれたのです。コレを使えと。あの時のご恩は一生忘れないのでしょう。

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仙台市内の国道48号線から少し降りた、広瀬川沿いにあった赤い屋根のスケート場。正式には何という名前だったのでしょう。「リンク」などというシャレた言い方が無かった時代ですので、八幡スケート場か八幡スケートセンターのどちらかだったような気がするのです。

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先週の気温が少し下がったある日。仕事をそうそうに切り上げ、自転車でお散歩兼トレーニングに出掛けました。その時に通った国道48号線から見えてきた赤い屋根。これはめったにないチャンス。

仙台市中心部から、青葉山の下にトンネルをズドンと通した西道路ができてから、旧国道48号線をクルマで通る機会はめっきり減りました。しかし、昔はここが関山峠に向かう重要な街道で、かつては何軒かのドライブインなどもあったように記憶しています。

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約40年前に、初めてここへ連れて来られた時の情景を、詳細に憶えているはずはありません。しかし、遠い遠い記憶のなかに、建物自体は何となく当時とほぼ変わっていないような気がして、実に懐かしく感じるのです。現在ではフットサル場として活用されているらしい、八幡スケート場。

館内への入口やコートの造り。また、食堂だったと思われる施設や、床の材質を見ても、ここがかつてはスケート場だったことは一目瞭然です。逆に、その部分が現在でもここまで残されていることに驚きを隠せません。

誰もいないこの場所で静かに目を閉じると、あたかも多くの来場者がここでキャァキャァ言いながら氷の上を滑っている・・そんな感覚に陥るのでした。