二ヶ月目の感謝

あの日から今日で二ヶ月。もう話題にするのはよそうと思うこともあるのですが、被災地に住むほとんどの人たちが人生で最大の苦難となった東日本大震災は、言葉に出さずとも毎日頭の中から離れることはありません。地震は防ぎようがないにしても、せめて、せめてあの津波からすべての人が避難する時間がもう少し与えられていたらと、今も悔やむのであります。

想定を超えた大地震と大津波は多くの尊い命を奪っただけではなく、人々の大切な住まいや仕事場、そして田や畑など、これまでの長い年月に蓄積された苦労と思い出を一瞬にして消失させ、さらに人類の英知を結集して造られた原子力発電所の制御機能をも狂わせたのです。

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おそらく、ほとんどの人はこの二ヶ月で、これまでの人生よりも多くのため息をつき、これまでの人生でもっとも多くの涙を流したかもしれません。もちろん、その多くは悔しさと悲しみの涙なのですが、想像を絶する悲惨な状況を目の当たりに、涙も出ないという声も聞かれました。

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そのような状況のなかでも、なぜか感謝と感動の涙はすぐにこぼれる体質になりました。震災発生直後に、全国から次々と救援のために結集してくださった多くの人たち。もし仮に、すべてのことを自分たちだけでやらなければならなかったとしたら、はたして今はどのような状況になっていたでしょう。私たちの想像を超えた救援体制が、すぐに動き出したのであります。

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あの日から二ヶ月という節目に、そのことに対して私たちはあらためて深く感謝しています。宮城県警のみならず全国から集結してくださった警察官、同じく消防隊や消防団、海上保安庁、自衛隊、米軍、各自治体の職員、医療従事者、報道関係者、復旧工事の皆さん、ボランティアの皆さん。そして温かいお気持ちや義援金をお寄せくださった日本と世界中の皆さん。ライフラインの早期復旧も、全国からプロフェッショナルが集結してくださったおかげなのです。

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今もなお続けていただいている決死の救援活動と多くの温かい支援活動。すべての人たちに感謝の言葉を申し述べる術はありませんが、これだけは言えます。私たちは今回のご恩を一生忘れることはありません。そして、危険をかえりみず勇猛果敢に救援へと立ち向かう多くの勇士がいる日本を、また多くの心温かい人たちがいる日本を、心から誇りに思います。