一口のハンバーグ

福島県の大熊町から仙台に非難してきている姪たち。まだ先行きは不透明ですが、これまで通り時間だけは過ぎていきます。カミさんが我が子のように愛してやまない姪の子供たちのなかで、地元の高校へ入学が決まっていた長女が少し情緒不安定になってきたようだということで、昨夜から我が家へ週に2~3日のお泊り作戦を実行することになったのであります。

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実に多くの方々の温かいご支援のおかげで、ガスの復旧を除いてはほぼ日常を取り戻しつつあるのですが、残念ながら同じ宮城県内には、ご自宅を失われて寝る場所もままならない人たちが大勢いらっしゃいます。仕事上のお客様にも少しずつ連絡が取れ始め、特に沿岸地区にお住まいの方々は皆さんがご無事、あるいは仙台へ避難されたという一安心の状況です。

しかし、未だに電話がまったく繋がらない七ヶ浜町だけは不安が残ったまま。町役場に代わって有志の方が毎日更新していらっしゃるという町のホームページ上で、避難者名簿にはお名前を見つけたのですが、実際のところどうなのか直接伺ってみることにしたのであります。

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行きは産業道路、帰りは国道45号線を経由したのですが、津波に襲われた区域は多少でも撤去作業が進んでいるとはいえ、まさに惨状そのもの。表現が適切ではないかもしれませんが、強力な爆弾でも落とされた後の、巨大な爆風に見舞われたような状況。その様子をカメラに収めようかとも思いましたが、このあたりで誰かが苦しんだかもしれないと思うと結局はシャッターを切ることができず、自分の脳裏に焼き付けることが精一杯でした。

どちらも個人的に仕事でもよく通る道路。産業道路は多少なりとも仙台港に近いという認識はありますが、多賀城市内に位置する国道45号線のある一定区間は、おそらく私自身があの時に走っていたとしても、まさか津波に飲まれるなどとは思いもよらなかったでしょう。

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七ヶ浜町でも少し高台に位置していたそのお宅は、運良くギリギリで津波を切り抜けたらしく、電気だけは復旧したというご自宅でお元気な笑顔を見せてくださいました。どうやら先代からの言い伝えで、ウチが津波を被るようであれば、仙台市内の原町や小田原あたりまで被ることになる、と云われてきたとのこと。やはり津波には強い認識があったのでしょう。

残念ながら、町内には津波による犠牲者やご自宅を流された方々も多いようで、まだまだ避難生活が長引きそうな人たちもいらっしゃるとのこと。今回は自分がそうしていただいたように、水とガスボンベ、そして少しばかりの食糧を持参したのですが、これも自分がひと様から支援していただいたからこそ出来ることなのでしょう。まさに支援の連鎖なのかもしれません。

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さて、預かっている姪の長女を楽しませる意味もあって、今夜は震災後初めての外食を。やや不謹慎か、とも思ったのですが、お金を流通させることも復興の一つだと自分に言い聞かせながら「ビッグボーイ」へと。予想通りメニューは限られていましたが、久しぶりで口にする熱々でふわふわのハンバーグを一口ほおばった瞬間・・。これって、こんなに美味しかったっけ?

店頭で微笑むビッグボーイ君の可愛い目線は震災前と何ら変わらずに、ポマードできっちり固められたその髪型は、風呂に入れない私よりも格段にカッチョ良いのが悔しい限りでした。