駅裏改め東口

ひと昔前から、仙台では仙台駅を基点として発展していた西側を「駅前」と呼んでいました。そして、まだ開発されていなかった東側を「駅後ろ」ではなく「駅裏」と呼んでいたのです。

「裏」という表現には、どこか暗くネガティブなイメージを感じたことは否めませんが、実際には仙台市の開発計画の関係もあり鉄筋コンクリートのビルが極端に少なかっただけで、古くから住居を構えたり商売を興されたりしていた方々も当然のことながらいらっしゃったわけです。

しかしながら、企業や商業施設のほとんどが西側に進出していたということは事実です。それから時は経ち、当時「裏」と表現されていた地域はアッと言う間に発展してしまいました。

east.sendai

これは、仙台駅上空200メートルから東側を表現した「Google Earth」を用いた光景です。

時系列としては記憶が曖昧ですが、今は無き宮城第一ホテルが入った農協会館が建ち、東西の道路が拡張されてガーデンパレスが建ち、郵便貯金会館がメルパルクとして移転したりヨドバシカメラが移転したり、サンプラザや森ビルが完成したり、Zepp Sendaiが進出したり。また、それまで本町辺りが主流だった予備校の多くが東側へ軒並み進出してきたのです。

あれよあれよという間に発展する東側にとどめを刺すことになったのは、楽天野球団でしょう。それまで永いこと寸止めになっていた道路が、駅から球場まで繋がって開発は加速しました。今はご存知の通り、様々な企業が東側に進出するようになり、飲食店も非常に多くなりました。今やよっぽどご年配の方ではない限り、「駅裏」と言う人はいません。「東口」です。

一方で、風情のあった東七番丁から二十人町辺りの風景がすっかり変わってしまったことや、四半世紀前によく利用させていただいた新寺の中華料理「建華園」が閉店してしまったことなど、少し寂しい気持ちも感じざるを得ませんが、開発という波を防ぐ防波堤は無いのでしょう。

ところで、「東口」という呼び名は完全に定着した感がありますが、「西口」という呼び名がピンと来ないのは私だけでしょうか。もうしばらくは「駅前」と「東口」という呼び方が続きそうです。